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出産体験記とは関係ないんだけど、母と子がらみなんで載せます。
もらい物ですが、読んでください(笑)

[ 母は偉大 --- 教えの数々 ]

○母は遺伝学を教えてくれた
「まったくあんたったら、セコいところが父ちゃんそっくり!」

○母はチャレンジ精神を教えてくれた
「なにあんた。母ちゃんに口答えするつもり?言えるもんなら
 言ってみな!」

○母は論理学を教えてくれた
「早く寝ないと風邪ひくよ。そしたら明日の遠足行けなくなるよ!」

○母は忍耐を教えてくれた
「うちに帰るまでカップラーメン開けるんじゃないよ!」

○母は予知を教えてくれた
「あんたこんなんじゃ、いい学校へ入学できないよ!」

○母は公平を教えてくれた
「あんたが大きくなって自分の子をもてば、母ちゃんの苦労が
 わかるよ!ふふ」

なかなか笑えませんか?
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第九十一話

そうそう、忘れてました。
いろいろ巻かれる前に、思いっきりお腹を押されたんです。
理由は、悪露(おろ)を出すため。生んだ後とはいえ、
お腹そんなに押して大丈夫?と思うほどでした。
で、ドロ〜っと何か出てくる感じがある。
気持ち悪いくらいでした。
ちなみに、お腹はぐるぐるいろいろ巻かれ、股間には巨大な
おしめもどきのナプキンがあてがわれていました。
今でこそ、そういうナプキンだけど、一昔前は「おしめ」
だったんだろうか。なんてちょっと思う。

その巨大さは、取る時に実感するのだけど、今は寝たきり
なのでよくわかっていない。T字帯とかっていう物も、
実際に自分で用意していないので、どんな形かもわかって
いない。お腹にぐるぐる巻かれた物体で、確かなのは
「さらし」だけだった。さらしだけは持参したものなので、
形がわかっている。感心したのは、寝たきりの私のお腹に、
上手にさらしを巻くことだった。さすがに毎日の仕事である。

「2時間安静にしてください。」
「2時間ですか。」
「そう、子宮が急激に縮小する時間帯なんです。動かずに、
 安静にしてください。」

看護婦さんが、点滴を新しいのに替えて、去っていった。
この部屋は今静かである。
なにせ、うんうん言ってる妊婦がいない。
いるのは産んだ私と、左隣の人。
二人とも産後の「安静」時間である。
看護婦さんもこない。
眠れないし、なんと言っても暇である。
壁の時計やら、頭の上にある魚の形の時計やら、
部屋を見渡せるだけ見渡したりして、時間をつぶす。
ふと、頭の上をみると電話がある。
コードレスの電話。
さっき、私の自宅にかけてそのままなのである。
暇な私は実家にかけたいなぁ・・・なんて思う。
思ったら、もうとまらない。
看護婦さんがきたところをつかまえて、その旨を伝える。

「いいですよ、どうぞ。」
「ありがとうございます。」

看護婦さんは快く承諾してくれて、私は実家に電話する。
もう連絡が行っていて、おとうさんが「お疲れ」
といってくれた。
電話を切って、更に暇度が増す。ふと見上げるとカルテが見えた。
何気に手にとって見る。
事細かに経過が載っている。
ずーっと見ていく。

「2時4センチ」
「6時6センチ」

うんうん。まだうなってたね。

「風船とる」

そうそう、取った、やっとここら辺でとれたんだっけ。
それで・・・・・。

次の瞬間カルテを持つ手がふるえた。

血の気が引いた。

心臓がドキドキした。

「6時、6センチ。
        羊水混濁 」

カルテにはそう記入されていた。

            続く

                          





第九十二話

心臓が高鳴る。
生唾を飲み込む自分がいる。
カルテを戻し、考える。

「羊水混濁」って・・・・。
だから6センチでお産になったの?
友人の言葉が脳裏をよぎる。
”羊水が濁っちゃっててさぁ・・・”
確か友人の赤ちゃんは、それで大変だったはず・・・。
私の赤ちゃんも・・・まさか・・・。
悪いほうへ悪いほうへ考えがいく。
そうだ、見直してみよう、なんかの読み違いかも。
そう思って、もう一度カルテをとり、真剣に見る。
間違いない。
「羊水混濁」だけ、赤字で大きく○で囲って書いてある。
カルテを戻し、再び考える。
診察でも何度か言われた言葉。

”胎盤の機能が落ちてきますからね”

生理で計算すると、4月9日が予定日だった。
でも今は胎児の大きさで、とかいう理由で、
4月19日になったのだ。
一昔前だったら、9日なわけだから・・・・
2週間以上遅れたことになるわけだ。
もしかして・・・・いや、ちゃんと泣いてたぞ。
かなり大きな声で・・・。
特に変なとこなんて、気が付かなかったぞ。
いや、これからかも。

もんもんと考える。
そうこうしてるうちに、お隣が退出するらしい。
看護婦さんがきて、説明をはじめた。静かなのでよく聞こえる。
歩行訓練は8時間後、とかなんとか。
説明後看護婦さんは、私の頭の上に落ちそうなカルテを見つけ、
もっていってしまう。聞くに聞けない。

車椅子がやってきた。
押してるのは、年配の女性。
そうか、車椅子で移動するのか・・・。

お隣が部屋を出て行った。
あと30分くらいで、私も部屋にうつるんだなぁ・・・。
少し気がまぎれる。
そうなってくるとお腹がすいてきた。
お昼ご飯も、まともに食べてないんだから当然だ。
夕飯なんてもらえないんだろうなぁ・・・。
はぁ・・・。
考えたらお腹が余計に減ってきた。
もう、食いしん坊の私って・・・イヤ!

PM10時10分。
看護婦さんが、退出の説明にやってきました。

                   続く







****************************
おめでとうメールがきてるんで載せます。いまさらおめでとう、
というのもなんですけどね(笑)

「長かったよねー。
 何年も前の事なのに改めておめでとうって感じだよ。」

「誕生おめでとう!
 なんちゃって・・・・
 お産も頑張ったけど、記録もよく頑張ったね。
 みっちゃんはえらい!えらすぎる!」

ありがとうございます。こうやって打ちながら、
思い出してる事もあるんでなかなか・・・・。
まぁもう5年も前だしね。あと、後陣痛のことでも一通。

「 出産後、二回とも後陣痛がひどくて、二人目の時は
 アイスノンを乗せたぐらい。子宮がドッ キン、ドッキンって
 心臓みたいになるの。結構辛かったよ。」

この方、出産経験が2回あるんです。
後陣痛・・・私もきつかったなぁ・・・。
とはいえまだ体験記の方では出てきてませんね。
******************************

第九十三話

PM10時10分。
部屋に移動する前の「説明」の為に、
看護婦さんがやってきた。
私の側のイスに座り、紙をくれる。
入院時のスケジュールが書いてある。
熱計っておきましょう、と体温計を挟んで、説明であります。

看護婦さんは順に説明していく。
まず、歩行訓練は出産後8時間後のAM4時。
自力でいけない時は「ナースコール」して下さいとのこと。
でも寝てたら6時頃でもいいですよ、という。
シャワーは3日後から、とかそんな話だった。
紙をみればわかる、とも言われ、納得する。
頭の上に、結婚式の引き出物につかうような大きな袋。
ここにナプキンなどが入ってます、といわれた。
入院セットである。
そういや、ここからナプキンとったり、
T字帯とったりしてたなぁ・・・。なんて思う。

ふと、気づくとネームラベルがピンクに入ってる。
あれ・・・最初そうっだったっけ?
よく覚えてないけど・・・・。ま、いっか。
これ、女の子が産まれるとピンクに。
男の子が産まれると白い方に、それぞれ名前が
出るようにいれるらしい。
部屋に戻ってからきづくんだけどね。

体温計をみて、一言いわれる。

「アイスノンいりますか?」
「は?」
「熱あるんですよ、さっきもだけど。37.8分。」
「そうなんですか。でもそんなに熱くないです。」
「じゃいいですね。」
「はい。」

熱かぁ・・・。
産褥熱とかっていうらしい。点滴も終わりです。
針を抜いてくれました。
ほ−。なんかうれしい。これで右手も自由ね。

悪露のチェックをされる。
なかなかいいらしい。お腹を触って、子宮の戻り具合もみる。
これもなかなかいいらしい。
チェックOKで、部屋に行くことになった。
と、その時、妊婦さんが一人入室した。

ひーひーいってる。
頑張って、と心の中で思う。

車椅子がきた。
押してる人は・・・・おいおいおいおい。
どうみても60代後半。
私がこの人に車椅子押してもらうの?!
逆だよ、どう見ても!!!・・・と思ってしまった。

躊躇しても仕方がない。
台の上で身体を起こす。
そのまま降りて、車椅子にうつる。

「宜しくお願いします。」
「いえいえ、おめでとうございます。」
「ありがとうございます。なんか歩いていけそうなんだけど・・・
 オーバーですね、これじゃ。」
「でも動かない方がいいんだから、いいのよ、これで。」

なんだか、ものすご〜く後ろめたい気分。
おばさんは、えんやこらえんやこらと車イスを押してくれる。
が、しかし、おばさんには難関が待ちかまえていた。
夜、しかも10時過ぎで、いつもの出入り口は閉まっていたのだった。

別の出入り口から、出なければならないのだが、
そこがまた車椅子一つが、やっと出入りできそうな巾。
さらに、床には戸のレールがあって、どうにも乗り越えられない。
・・・・。
私は思いあまっていう。

「降りますから、ちょっと待って下さい。」

おばさん、びっくりしていう。

「駄目ですよ、まだ立ったらいけません。」
「でも・・・ここ出られないですよ。このままじゃ。」
「大丈夫ですから。」

ちいさいおばさんである。
車椅子だって結構な重さっぽいのに、人が乗ってるのである。
その「人」とはこの私だ。おせじにもちいさいとはいえない。
逆の立場で私だったら、これぐらいひょいっと持ち上げちゃう
だろうけど、このちいさいおばさんじゃぁ・・・・
まず無理だろう。

「あの−・・・やっぱり立ちます。」
「・・・そうして下さいますか?すいません。」

やっとおばさんがおれてくれた。
ひょいと立ち上がり、車椅子を動かす。

「はい、ありがとうございます。座って下さいね。」

おばさんは私を座らせたいらしい。素直に座る。

「ありがとう。こんな所見られたらクビになっちゃうわ。」
「そうなんですか?」
「だって、これがお仕事なんですもの。」
「・・・・そうですね。」

そうかぁ・・・。なかなか難しい。
親切のつもりが、大きなお世話になるということも
あるんだなぁ・・・なんて思っていた。


                      続く

                          




第九十四話

なんとか分娩室を脱出する。
脱出口は、新生児室の裏手でありました。
通るときに、ここで沐浴するんですよ、と教えてくれる。
なるほど、大きな洗面台がある。
そこを抜けて、なんとか廊下に出た。
今朝、浣腸で我慢した場所であります(笑)
右側、新生児室にはカーテンが掛けられていて
中は見られません。残念です。
クルクルと車椅子を動かし、もう一つの
トイレの場所を教えてくれる。

しかし、夜の病院は暗い。
不思議と怖くはなかったんだけど。
で、一番奥の部屋に通された。
その一番手前。
混んでるので、簡易ベットで我慢して下さいといわれる。
いえいえ構いませんって。

そこは、部屋の洗面台の脇。
洗面台に「夕食」がおいてあった。
まぁ!
ここにきてご飯が食べられるなんて!!!
うれしい−−−−−−−−!!!!

一応消灯後なので、部屋は静かであります。
おばさんは、荷物をおいて、去っていきました。
私は、うんしょこらしょと、ベッドに座り直し、
あれ?あんまり痛くないや、と思う。
会陰切開の後は、めちゃ痛いっていう話だったのに。
ま、いいや。
荷物をかたし、夕食にありつきました。
冷めてたけど、お腹には美味しかったです。
ビーフシチューだけは、暖かい方がいいなぁ、
と思ったけど(笑)。
食事を済ませ、荷物からハブラシだして、
歯を磨きました。
いやぁ、洗面台の脇で良かった。そして就寝。
時刻は11時。

寝られない・・・。
暑い・・・。
なんか暑い。
部屋の温度が暑い。
自分の身体も熱い。
熱あるっていってたもんなぁ・・・。
そうこうしてるうちに、誰かが「いびき」をかきだした。
これがうるさいのなんのって・・・・。
寝られないじゃないかぁ!!!!
多分興奮してるから余計なんだろうけど。
昨晩からまともに寝てないんだから、寝たいのに。
寝られない!!!
寝られないことがこんなに苦しいなんてぇ・・・。
熱いよう。
部屋も暑いよぉ・・・。
寝たいよぉ・・・・。

うとうとうと・・・。
目が覚める。
トイレに行きたい。
歩行訓練は4時。
今何時?
12時半。
まだ早いよなぁ・・・。
どうしよう。
動いちゃまずいのかなぁ・・・。
こっちに移動前にまた「導尿」してくれて、
いっぱいとりましたから4時まで大丈夫でしょう
とかって看護婦さんいってたのに。
もういきたいよ。
看護婦さんのうそつき!!
どうしよう・・・。
いきた−い。
トイレ−−−−−−−−−−!!!!

ベッドの中で悶々としている私だったのでした。



               続く




第九十五話

トイレにいきたい。
目が覚めてから、ずっとそればっかり。
かれこれ1時間は悩んでる。
今何時だろう・・・。
時計をみると、1時30分になるところだ。
ええい!いっちゃえ!!
こんなところで「おもらし」なんてしたくない。
確か友人の何人かは、会陰切開の縫合も麻酔なしだったとか、
産後、歩いて部屋に移動したとか言ってたはず。
大丈夫だ。うん。
勝手に自己完結して、トイレに行くことを決行する。

それは差し上げます、と言われた
かわいいスリッパに足をいれ、実に7時間振りの「歩行」。
なんだ、結構平気じゃん。
トイレ、トイレ。
あそうそう、ナプキン持たなきゃ。
入院セットの袋をまさぐる。
大・中・小とある。

・・・・・・。
大・中・小・・・?
出血ひどいんだろうなぁ・・・。
やっぱり「大」なのかな。
そうそう、この「清浄綿」とかってのも使用してください、
とかいってたな。
よし!準備OK!
その二つをもって、いざトイレへ。

幸い、個室のトイレがあったのでそこに入る。
多分、妊娠中の安静妊婦さんが「車椅子」で入るところ
だと思う。ま、広くていい。
ただ、近いから入ったんだけど、広かったことが
大変助かった。なぜなら、トイレに入ったものの、
お腹のぐるぐる巻きをとらないと、用を足せない
ことに気づいたからだ。
いったいどうなってるんだろう。
ぐるぐるはがしてもはがしても、なくならない。
たまねぎか、あんたは。もれちゃうよ〜。
必死だった。もう最後は、とにかくとれりゃいい!って感じで
脱ぎ散らかし状態だった。
思った以上に尿の量は多かった。
点滴を14時間もやってると、口から水分補給してなくても、
なんとかなるんだなぁ、と思う。
そして改めて、今自分がしてた、ぐるぐる巻きの多さに目をみはる。

T字帯もつけ方がわからないので、そのまま捨てた。
さらしだけは、たたんで持ち帰った。
巨大なナプキンは、巨大なごみ箱に捨て、
新たに巨大なナプキンをした。
思ったより「出血」の量は少ない。
出産したのに・・・・。
ふうん、これぐらいなんだぁ・・・なんて思う。

とにかく、すっきりした私は、すたすた元気に部屋に戻り、
再び床についた。とにかく寝なきゃ。
昨晩からまともに寝ていないのだから。
すっきりしたのか、少しは寝られた。
目が覚めたら5時30分。
部屋の人たちが6時の授乳の準備をはじめていた。

私が授乳をするのは3日後のはず。
つまり、この時間は「暇」なのである。
そうだ、赤ちゃん見に行こう、とまた元気に歩く。
本当は「安静」にしてなきゃいけないのよ。
後から知ったんだけど。
で、やっぱり思ったより痛くない。
みんなよく会陰切開の部分が痛くて・・とかいってたのに。
ま、痛くないのにこしたことはない。

新生児室に行く。
予想通り、カーテンは取られていた。

昨日生まれた赤ちゃんは、一番手前におくって聞いた。
もちろん見にくる人が多いから。
私の赤ちゃんどこかなぁ・・・。

あれ?
いない。
いないよ。

端から全員見た。
手前じゃないとこも見た。

いない。
どうして・・・・?
どうしていないの・・・?

ふと頭に「羊水混濁」の文字がよぎった。


                 続く







第九十六話

いない・・・。
窓際の一番端は今日の午前に生まれた赤ちゃん。
多分、私と入れ違いに入った人のだろう・・・。
そして、その横は7時37分と書いてあるから、
私の前に産んだ人の赤ちゃんということになる。
その間にいるはずの、私の赤ちゃんがいない。

なぜ?
もしかして・・・・。
頭が悪いほうへ考えをもっていく。
夜中に急変して・・・・。
羊水混濁だったから・・・・。

通路にある、ベンチにへたり込んでしまう。
頭を抱えて、悪い考えを飛ばそうとするが頭からはなれない。

誰か・・・。どうにかして・・・。
誰かと話したい!

「上田さん・・・ですか?」

ふと声をかけられる。顔を上げ、看護婦さんが立っていることに気づく。

「はい、上田です。」

かろうじて返事をする。

「よかったぁ。採血させてください。」
「あ、はい。」

看護婦さんは、もっていた注射器で血を抜く。
私はただボーっと抜かれていた。

「そうそう、上田さんの赤ちゃん。」

ドキ!

「はい・・・。」
「保育器に入ってますから。」
「はい?・・・保育器?!」
「そう。保育器。」

看護婦さん、血を抜き、注射針の処理をしながら続ける。

「 昨晩、体温測ってるとき、少し手足が冷たかったんで。
 チアノーゼ気味っていうんですか? 暖めてます。だから
 窓際にはいませんからね。」
「そうなんですか。」
「もしかして・・・もう見に行っちゃった?」
「・・・はい。」
「いなくてびっくりしたでしょう・・・?」
「・・・はい。」
「でもねお母さん、もう少し安静にしてた方がいいんですよ。」
「・・・わかりました。」
「診察もあるから、赤ちゃんみたら、お部屋に戻ってくださいね。」
「はい。」

看護婦さんが去ったのをみるやいなや、新生児室前に行く。
一番奥の保育器に、8時8分誕生の文字が書いてある赤ちゃんがいた。
私の赤ちゃん・・・! いた・・・!

よかった。
いた・・・。

寝てる。
保育器の赤ちゃんは、おしめしかしていないので、
胸があらわ。少し、呼吸が早い・・・?
胸のところが呼吸のたびに、変にへこむ・・・。
???
なんだろう。あれでいいのかな。・・・・。

少しの不安が頭をよぎるのだが、とにかく
「いた」ことに安心して部屋に戻る私だった。


                   続く

                          







************************
感想メールです。

「こんにちは。あああああ上田さんの文章ってなんて
どきどきなのでしょう。早く続きを〜!って叫びたく
なりますね。ナプキン大中小って、大って、どれくら
いですか?厚焼き卵くらいの厚さとか?タオル折った
くらいとか?大きさの見当がつきません。想像できな
いくらいでしょうか。気になります。」

そうですね。バスタオルを半分にたたんで更に半分に
たたんだ感じ。布おむつより巾が若干短めで、長さは
同じくらいかも。厚みは1〜2センチくらいあったかも。
これでOK?
*************************

第九十七話

部屋に戻ると、看護婦さんがまわって来ていました。
朝の検温ってやつですね。
体温は平常に戻っていました。

「歩行はできましたか?」
「はい。4時前にいっちゃいました。トイレにいきたくて。」
「健康ですねぇ・・。」

お腹をだして、子宮の戻り具合をチェック。
なかなかいいらしい。それが終わると朝食まで
「暇」であります。朝食は8時から。

お腹すいた・・・。
朝も5時台からおきてると、7時半過ぎには
お腹がすくものなのね。
昨日11時近くに食べたのに・・・・。
というより半分やけ食いしたい気分だった。
さっき、新生児室の帰り、体重計が
廊下にあることに気づき乗ってみたの。
もちろん減っているつもりで。
3キロ増で、3090gの赤ちゃん。
羊水、胎盤もろもろで大体-2キロ位のはず。
つまり、しめて5キロは減ってる計算だったのに・・・。
体重計のって目を疑ったよ。減ってない。
1キロも!なんなの私の身体!!
あの赤ん坊はなんなのさ。
ズルンとでた胎盤はなんだったのさ!!
かなりョックだった。
だって、1キロも減ってないなんて。
点滴で5キロ分も身体に染み込んじゃったわけ?
わかんないよ、もう。

もんもんとしてると話かけられる。

「上田さん。昨日部屋に戻ってから夕飯食べてたでしょ?」
「うん。お腹すいてたから。」
「すごいなぁ・・・。私も遅くきたけど、食べられなかったよ。」

同室の人が言い出した。みんな暇なのである。

「いつ生まれたんですか?」
「私おととい。」
「じゃ混んでるとき?」
「そうそう、分娩台大変だったの、順番待ちで!」

大笑いであります。
別の人がいう。

「それより昨日暑くなかった?」
「暑かったよ。やっぱり空調壊れてるよね。」
「めちゃくちゃ、暑かったです。」
「看護婦さんに言おう。」
「うん、言おう。」

書き遅れたけど、この部屋は7人部屋みたい。
ただし、簡易ベットの私がいるので、8人部屋状態だけど。
みんな元気な産後の人達です。
TVが一台窓側にあって、朝刊が一部届けられています。
冷蔵庫が入り口にひとつ。割ときれいな病室です。

「上田さん、午後になればそこから移れるからね。」
「どうしてですか?」
「退院する人が出るから。」
「なるほど。」

そんな雑談後、朝食の時間です。
朝食後、歯を磨いて、ベッドでボーっとしていたら
聞き覚えのある声に飛び起きました。

おいおい、まだ8時台だぞ〜。面会は9時からでしょうに。

その声は言わずとしれた、お義母さんの声でした。




               続く


                          


                          
第九十八話

基本的に面会時間は午後3時から。
前日生まれた人に限り、午前9時よりOK。
なのに・・・・おいおいおい、まだどう時計を見ても9時前。

お義母さんは、大きな声で廊下で話している。
部屋の名札を見ているらしい。私の部屋は一番奥なので、
確認は一番最後。その間、いないねぇ・・・
などと言ってる声がずっと聞こえていた。
は・・・恥ずかしい・・・。

「あ、ここだ、ここだ。」

ひょいっとお義母さんが顔を出した。
私は一番手前に居たので、すぐ目が合った。

「いたいた。お疲れ様。ちょっと早く着いちゃったよ。
 で、赤ちゃんは?」
「おはようございます。なんか冷えてるって保育器に。」

そこまで聞くと、お義母さんは廊下に向かって言う。

「保育器だってよ。」

廊下にはお義父さんと旦那が居るんだろう。

「じゃ私も見てこようかねぇ。」

お義母さんは、すたすた出て行ってしまった。
・・・・・・・・・嵐のようだった。
とってもご機嫌な様子で少しほっとする。
旦那が入ってきた。

「保育器って?」
「手足が冷えてるんだって。」
「ふうん。」
「何か言うことは?」
「あ、ご苦労さまでした。」
「どういたしまして。でももう終わりね。」
「なんで?」
「痛いから。」
「なんじゃそりゃ。しょうがないじゃん。見に行こうよ。」
「うん。」

よっこらしょっと、ベットからのそのそ這い出て新生児室へ。
みんな赤ちゃんが遠いので、ちょっとがっかり気味。

「カメラは?」
「持ってきてないよ。」
「どうしてぇ・・・!」

このとき「カメラ」を忘れたことは、今でも悔やまれる。
お義母さんは、佐藤(実家)に似てるだの、
上田に似てるだの言っていましたが、
遠くてよくわからないのが現状でした。
もっと近くで見たかったねぇ・・・
といいながら3人は帰っていきました。
旦那は佐藤の方は午後からくるって、と言っていました。

また暇になった私は会社に電話して、
生まれたことを報告。
同僚にも直接電話で話しました。
実家にも電話。
午後いくよ〜、聞いたよ〜、などと、たわいもない事を話す。

その後、また呼ばれて点滴をされる。
ベッドに横になっていると「保育器に入ってること」
を考えてしまう。
暇だとだめだ。
悪いほうにばかり考えが行っちゃう。
点滴状態でいいから授乳マッサージのビデオを見にきてください、
と看護婦さんにいわれ、移動。
昨日産んだ人と点滴状態でビデオを見ました。
気がまぎれていいなぁ・・・なんて思いながらみてました。

昼食後、懸念していた事が「現実」になるとは思いもしないで。


                  続く





★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★★☆★
またまた感想。というよりそのときの心情かな。私が
「羊水混濁」という言葉を覚えた出来事の友人からです。

「 第九十七話を読んで、やっぱり二人目の時の事を
 思い出します。みんながアタシにウソをついて、
 本当は赤ん坊は死んだのかも知れない・・・
 そこまで考えていました。
 幼稚園のママで二人目の子を妊娠7ヶ月で死産
 したっていう人がいます。とっても辛かったで
 しょう。なかなか立ち直れなかったみたいだけど、
 その1年後にまた妊娠できて、今やその子も2歳。
 それと最近切迫流産で大出血し、お腹の子供が
 ちゃんと育つ確立は1%しかない・・と言われた
 ママも中絶をしたらしいです。声をかけられません。
 その人5年ぶりにやっと妊娠したのです。
 でも諦めないで二人目が出来るといいなって思います。」

ちょっと哀しいメールだけど、載せました。
今本当に二人目、三人目って大変な人が多いみたいです。
年齢もあるんだろうけどね。
ほんと、ほしくて経済的にもなんとかなるなら「はやい」に
こしたことはないと思いますよ。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★★☆★

第九十九話

昼食後、放送でナースセンターにきてください、
といわれる。
心臓が高鳴る。
まさか・・・・。とうとう・・・。

ナースセンターにはメガネをかけた、先生が一人。

「上田さんですか?」
「は、はい。」
「どうぞ、こちらに座ってください。」
「はい。」

すすめられるまま、先生の隣に座る。
心臓がドキドキしてる。手に汗が出てきてる。
緊張でどうにもならない。

「えっと・・・。上田さん。」
「・・・はい。」
「赤ちゃんね、多呼吸なんですよ。」
「たこきゅう・・・?」

先生はメモ用紙に字を書きながら説明をはじめる。

「小児医療センターご存知ですか?」
「いいえ、知りません。」
「埼玉県立なんですけど、小児科では国内で
1.2の病院です。」
「はい。」
「そこに問い合わせたところベッドに空きが
あるそうなので、移します。」

頭が真っ白になる。恐れていたことが現実になる。
先生はその後も「多呼吸」がなんでもない
「一過性」のものなら大丈夫なんですが、
とかなんとか説明していたけど・・・。
もう一生懸命「聞いてる姿」を保つのが精一杯だった。
涙が出そうでこらえるのが辛かった。
とにかく、病院が変わるので「保険証」を持ってきて
もらってください、と言われる。
そこから、どうやって部屋に戻ったかもよく覚えていない。
そこで、わーっと泣き出してしまえば、楽になれたのかも
しれない。でも、昨日カルテを見てからよぎっていた不安が
あったせいか「いきなりきた衝撃」でなかったせいなのか
わからないけど・・・
私は・・・泣けなかった。

部屋に戻るとみんなが、何だって?
と聞く。
私は、赤ちゃん別の病院に移るんだって、
というのが精一杯だった。
同室の人はみんな黙ってしまった。
保険証もってきてもらうために、テレホンカードを探す。

「でもすごい病院なんだよ。大丈夫だよ。」
「?知ってるの?」

一人が言い出した。

「紹介でしか診てもらえない、すごい病院なんだよ。
だから大丈夫だよ。」
「うん。なんかそんなこと言ってた。」

後日聞いた話だが、ここが一杯だったときは
千葉県習志野市の病院をあたるらしい。
医療センターは岩槻にある。
いやぁ、通うにしても岩槻でよかった。

私はテレカを手に、電話の前に行った。
なんて伝えたらいいんだろう・・・。
涙が出そうで出ない、自分を呪った。
泣いちゃえば少しは「楽」になるだろうに・・・。
受話器を手に持ち、自宅の電話番号を押した。


                    続く



                          




***********************
なんだか気づくと100です。
とりあえず生まれたけど、まだまだ続きます。
またまた感想メールを載せたいと思います。

「 第九十九話は、血の気が冷める様な気持ちだったん
だろうなーって思いました。自分はしっかりしている
つもりなんだよね。命の大切さがわかりますよね。
私は風邪をひいた時でさえ思います。早く元気に
なって、普通に歩けるようになりたい・・・ってね。
普通である事、平凡 である事が一番の幸せなんです。
今日「子育てフォーラム」の講演会に行って来ました。

「 子供は、大きな可能性を持った大事な宝です。
誉める時は思いっきり誉めて、いけない事をした時は
しっかり叱る。伸びる子に育てて下さい。」

と言われました。そうだよね。甘やかしてばっかり
いると、大きくなってからでは遅すぎる。小さい時に、
 ちゃんと「躾」をしておかないと、とんでもない事を
 仕出かす大人になりかねない。親の責任は大きいです。
 今日は考えさせられる一日でした。」

なるほど、その通りだと思いました。
ではもう一通。

「 いやぁぁぁぁ〜生まれてから早くも10話近くに
 なるのにドキドキ継続中ですよ・・・(笑)
 出産って凄いってよく聴くけど、本当にすさまじい
 んですね・・・。なのに、ちまたのお母さんって
 そんな事があった素振りも見せずに生活なさってる・・・。
 凄いっすよね・・・。(ってそんな事考える時間
 なんてないのかな・・・>育児)
 産後も大変なんですね・・・!
 さらしや点滴の話を聞いてると(?)自分が入院
 していた時の事が・・・(悪夢)
 なんせ、盲腸だと思って開けたら(お医者さんがですよ!!)
 腸炎で、その膿を出す為に管4本も入れて、自然に抜ける
 までの数週間、さらし巻きになってたもんで・・・。
 ・・・これからも体験記楽しみに待ってま〜っす!!
 (現実逃避>爆)」

君の体験もすごいものがあると思うよ・・・。
・・・うん。
で、もう一通。

「出産体験記を読んでびっくり。無事に生まれて良かった、
 というのは新生児室にいる子の家族だけなんだね。
 すぐに生まれる子もいれば、長くかかってたいへんな
 赤ちゃんもいるのね。今は元気だからこの体験記も
 書くこともできるんだろうけど。その時は本当に
 たいへんだったでしょう。最近嫌な事件ばっかりで
 ほんとに心が痛いです。みんなの赤ちゃんが大きく
 なるまでになんとかならないかと思う今日この頃です。」

そうですね。立て続けにいやな事件、多かったですよね。
哀しいものです。なぜだかいまさらながら、その昔、
担任の先生に言われた言葉を思い出しています。
おまえみたいなのが「教師」にならないで、誰がなるんだ、
って言葉。なんか学級崩壊とかって聞くと、余計に
「教師」になればよかったかなぁ・・・って。
だって、一番楽しいはずの「学校生活」がつまらないなんて、
さびしすぎる。いじめられたこともあったけど、学校は
テストさえなけりゃ楽しいとこだったもんなぁ(笑)。
それを教えてあげられるし、またもっと別なことも教えて
あげられる。知らないことを知る楽しさとか・・・。
学級崩壊とかって言葉があるけど、家庭崩壊してる子が
多いんじゃないのかなぁ・・・。夫婦崩壊してるところも
たくさんあるみたいだし。仮面夫婦とかって言葉も
ありましたね。なんにせよ、さびしい世の中にはなって
ほしくありません。21世紀は楽しい時代でありますように、
祈らずにはいられません。

長くなりましたね。では本題に入りましょう。
記念すべき百話目です。
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第百話

コールは2回。

「はい」

お義母さんが出た。

「みつ子ですけど・・・。」
「・・・どうしたの?」
「赤ちゃん、別の病院に行くことになって・・・。
 保険証持ってきてくれって。」
「・・・。」
「いますか?」
「・・・もう出ちゃったよ。また後でじゃ駄目なのかい。」
「・・・わかりません。」
「どこの病院にいくんだって?理由は?」
「呼吸が多いっていう理由で、小児医療センターとかって
 いうところに。」
「そう。あの子の守りご本尊さんは、阿弥陀如来様だから
 唱えてあげなさい。」
「・・・なんて唱えるんですか・・・?」
「おんあめりかていぜいかなん。3回ね。」

3回って、そんなの覚えられないよ。

「お・おん・・・?」
「とにかく、8時8分に生まれた8のお不動様に守られた子
 なんだから。大丈夫。」
「はい。じゃ一回切ります。」
「おんあめりかていぜいかなんだよ。」

電話を切った。
おんなんとか、っていうのはさっぱりわからない。
余談だが、正確には「おん ありみたていせい からうん」
といいます。お義母さんのは、はっきりいって
全然そうは聞こえなかったです。
でもとにかく一番の難関には伝えました。
泣いてられない。
一番大変な目にあうのは紛れもなくちびチャンなんだ。

部屋に戻ると、ベッドが変わります、といわれる。
今度は一番奥の窓際のベッド。
簡易ベッドから普通のベッドになった。
座りごごちも、寝ごごちも違う。
赤ちゃんが普通の状態なら、ラッキーとかって
喜ぶんだろうけどそういう気分ではなかった。
わいわい退院の人達で、廊下はにぎわっている。
なんだか憂鬱。
お腹は後腹とかっていって、めちゃくちゃ痛くなってくるし・・・。
その中で、一人泣いている人がいた。
赤ちゃんに「黄疸」(おうだん)がでて、
赤ちゃんの退院が延びたとか。
一緒に帰れない、と泣いていた。

黄疸で死ぬことはないだろ、と斜めにみてる私がいた。
そしてはっとする。
「死ぬ」・・・・?まさか・・・・。

あえて、避けていた言葉を頭の中で使ってしまった。
不安で一杯になる。

死にたがってた私。
一緒に死のうと思っていた私。
ちびだけがまだ「その想い」にとらわれていたら・・・。
不安が不安を呼んでいく。
そんなとき、再び放送で呼ばれる。

それは、ちびちゃんを搬送する、救急車の到着を
知らせる放送だったのでした。


                 
続く

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