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感想メールです。
「とうとう10話まできましたねぇ〜♪
これまた^^続きが気になるなぁ〜
それにしても黒い点からミトコンドリアみたい
なのに変わってたんやー!
すごいなぁ〜♪生命ってやつは^^」
ほんとだよね。すごいと思ったよ、私も。
「つわりの話ですな。こればっかりは、男にゃ
わからんもんで…。好きな食べ物が嫌いに
なったり、変ったものばっかり食べ続けたり…。
色々あるみたいだけど、まぁ、みつ子さんは
絶対つわりはないと思ってた。
ほら、甘えんぼのほうがつわりがひどいとか
言うじゃん。ほんとかどうかそれはともかく、
逆の、気丈は、女丈夫は、昔からつわり
ないって言うし。そうでなくても、お産直前
まで、快食で、店やってましたってパターン
よく聞くし。みつ子さんほどの、女丈夫で、
甘えべたな人だったら、ぜってい…って
おもってました。メンタル面が大きいんだ
なっておもってたけど…。それにしても、
大変だったんだねぇ…。お産っていえば、
もぅ、天下御免で、食いまくれる時期で、
女性にとって、量を気にせずに食事できる
機会なのに、なんかもぅ、
「一生ダイエットしてなさい!」
みたいな宣言みたい。ちょっと、おおげさ?」
きっと一生ダイエットしてるんです・・・(涙)
「私は、最初の妊娠でやせて、つわりが終わった後、
ものすごく痩せたという自覚と、やっと物を食べ
られる様になったといううれしさで、めちゃめちゃ
食べた時期がある。其れこそ一ヶ月で4キロ太った。
でも、私はホントに痩せちゃってたから、少し戻って
ちょうどいいと思って。こんなに太っちゃダメだ、
という先生にそう言い訳したら“いくら痩せたからって、
いきなり こんなに太って、体にいいわけないでしょ!
普通の人だって、一ヶ月に4キロも太ったら異常だよ。
其れを妊婦がやったら、妊娠中毒になったっておかしく
ないでしょうが!!!”と、めちゃくちゃ怒られた。
だって、あんなに痩せてたら、ホントにふらふらして、
なーんにもできなかったぞ!って、言い返そうと思った
けど、先生はかなりの迫力で怒ってたので、言っても
勝てそうにないと思ってやめたのだった。ああ、私って、
な〜んて大人なんだ。えらいわ!教訓。医者の言うことに
文句を付けるな。文句があっても、ただただ聞き流せ。だね。」
医者のいうこと聞き流してたら・・・・。考えただけでも恐ろしい。
「こんにちわぁ〜♪ お久しぶりです。(^-^)
第10話まで読んだところだけど面白いよーーっ!
妊娠、出産って、女性の一代イベントだもんね。
で、一度母親になっちゃったら、一生「母親」だもん。
一生だよ・・・。
まっ、途中で、母親から父親に変わるわきゃないけどさ。(笑)」
一生・・・。改めて考えると大変かも。
ま、なってしまったんだから頑張っていきましょう!
*******************************
第十一話
またまた2週間後・・・・再び産婦人科にいました。
相変わらず混んでいます。
アナウンスで呼ばれるまで、ゆうに1時間は待たなければならない。
旦那は新聞片手に、私は出産雑誌片手に、呼ばれるのを待つ。
やっと呼ばれて入ってみれば、この間の先生だった。
「はい、じゃぁ内診ね。」
と、またまた台にのる。
例の物体をつっこまれ、モニターでチェック。
わくわくどきどきの瞬間であります。
「はい、見て下さい。」
カーテンごしに画面が現れる。
・・・・・あっ!
ミトコンドリアが・・・
ミトコンドリアが・・・・・・
ミトコンドリアが赤ちゃんになったっ!
(ってミトコンドリアも赤ちゃんなんだけど)
大きい頭があって、手と足があって、
両手をこすりあわせたり、足をばたばたさせたりしてる!
なにより、黒い画面の真ん中に、白く浮かび上がった
赤ちゃんは、もう感動するしかありません。
なんか、水の中で泳いでるってかんじ。
うわーーーーーーーーーーーっ!
うわーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!
うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!!
「手足をばたばたさせてるねぇ。元気だね、この子は。」
うんうん元気だっ!ほんとにずっと、身体を左右に
動かしたりして、一時も休まず動いてる。
(って単に落ち着きがないのか?)
こんな赤ちゃんに「落ち着き」求めてどうするんだか・・・
大きい頭にはもう「目」らしい黒い点も、確認出来る。
相変わらず「心臓」は元気に点滅してる。
すごいっ!凄いっ!凄すぎるっっ!!!!
たった2週間前はゾウリムシの様だったのに・・・
この進化は凄いっっ!!!!改めてまた「感動」に浸りまくった。
ここにイラストが入らないのが残念。
図で説明した〜いっ!
先生は、赤ちゃんの大きさをモニターで計っている。
凄い。はかれるんだ。画面で。
台から降りて、先生は言った。
「4月19日ですね。」
「はい?」
「予定日は4月19日です。もう変更はありませんから、
これで母子手帳なんかも、記入していて下さい。」
「はい。」
予定日決定であります。
「それからこれ、今日の赤ちゃんの写真です。」
「え・・・?」
「差し上げます。どうぞ。」
・・・・。
まじまじと写真をみる。
うわーーーーーーーーーーーーいっ!
もらっちゃったよ。ちびチャンの写真!
手足がばたばたしてたんで、ちょっとぶれてるけど。
旦那に見せなきゃっ!
「ありがとうございます。」
「それで、次は4週間後になります。」
「4週間後ですか?」
「はい。お大事に。」
足取りも軽やかに、旦那のいるところへ。
写真を見せる。
「みてみて、ミトコンドリアが赤ちゃんになったよ。」
「何?」
「だからこれこれ。」
「わかんねぇよ、これじゃ。」
「だからこれが手で、足がこれで。」
「ふ〜ん。凄いね。」
「一緒に見られれば、もっと感動するのに。
あんたほんとにうれしいの?」
「何言い出すんだよ。」
「だから、子供できてうれしいの?」
「うれしいよ。」
「じゃぁもっとうれしそうにしなよ。」
なんか感動しまくってたのに、旦那の態度で
一気に不機嫌モードに突入。
「4月19日だって。」
「なにが?」
「予定日。」
「9日じゃなかったっけ?」
「変わるって言ってたじゃん。」
「そうか。」
このやろーーーーーっ!真面目に人の話聞いてろよっ!
不機嫌モード倍増!
「じゃあ会社にもそろそろ言った方がいいな。
来週あたり言っとけよ。」
会社?
いう?
そうか。予定日も決まったし、言わなきゃなぁ・・・
う〜ん。誰にどう言おう。
前例ないしなぁ・・・。
旦那の一言で、不機嫌モードは吹っ飛び、
会社への申告に、頭を悩ませはじめた私だった。
続く
**************************
感想メールです。
「上田のみつ子さんもあいかわらずなんだなぁ。
会話が!はははは!上田の気の抜けたような生返事も、
みつ子さんの不愉快そうな顔も浮かぶよ。
でも、ちょっとグロいかもしれんが、その時期の
動いてるとこ見てみたい気も…。
なんか、使い古された言葉だけど、「生命の神秘」って
やつ。まぁそんなことはともかく、なんか、
毎度複線をはって終わらせられると、もぉ、
「この続きは?」って感じが残ってる。
ううん。うまく、ひっぱってくれるぜ!って
感じって感じって感じ…。」
では続きです。
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第十二話
会社に申告しなきゃ・・・
頭では分かっていても、なかなか実行に移せない。
最低でも産前6週間、産後8週間は休む訳だから、
絶対に言わなければならない。
もんもんとし続け、やっと決意する。総務のK常務に言おう!と。
私の面接・採用を決めた方だし、なにより「出産後も働いて」
を理由に採用したのだから、嫌な顔はしないだろう・・・
と思っての人選だった。
けれど常務に・・・・と決めても、なかなか言い出せない。
結局、決めてから4日目。木曜日だったと思う。
「常務。お話があるんですけど、お時間頂けませんか?」
と言った。
「いいですよ。」
と、にこやかに常務は席を立った。
商談コーナーの真ん中に座った私は、事の次第を話した。
常務はとても喜んで、また、大事にしないと大変だよと、
ご自分の体験談をお話になり、折を見てみなさんに
言っておきます、ともおっしゃった。
「育児休暇の社則に、取りかからなきゃね。草案はあるんだけど、
やってないんだよ。これで嫌でもやらなきゃね。
取りかかりますよ。」
と笑いながら、妊娠の申告は終わった。。
会社に申告して、肩の荷が降りた気がした。
でもまだ常務以外、誰も知らないこの妊娠。
ちまちま食べてる食事のせいで、徐々に増える体重。
早く終わってよ、「つ・わ・り」。
9月も半ば過ぎ・・・まだまだ続く「つわり」。
人とは違う「つわり」。
とにかく眠くて日記も書けない。
もうすぐ母親学級だなぁ・・・・等と思いつつ
布団に潜り込む毎日だった。
続く
第十三話
ここら辺から、記憶があいまいになるので、必殺!
日記読み返そう!・・・と思って、この間の祝日(文化の日)に、
押入の奥から、日記の入った段ボールを引っぱり出し、
意気揚々と読んでみた。
が、しかし・・・眠かったんだねぇ・・・私。
それこそ、7月の公演数日前に、「微熱がある、これはあやしい」
と記述後、なんと11月まで1日も、それこそ一行も書いてない!
・・・はぁ・・・役立たずな日記である。
でもこれで、本当に眠かった事だけは証明された。
そんな訳で、あやふやな記憶でつづり続ける体験記でありました。
常務に話をして数日後、更衣室でヨーグルトを、例によって、
ちまちま食していたら、Tちゃんがやってきて
「あっ!美味しそうなの食べてるっ!」
とつっこまれる。
「私が食べたがってるんじゃないも〜ん。」
もう隠す事はないや、と開き直る私。
「えっ!?それって・・・」
そんな時、Iさんまでやってきて、
Tちゃんが
「上田氏、おめでただって。」
「えーーーーっ!ほんと?」
と、この二人を先頭に、女子社員にばれていくのでありました。
9月半ばに「感謝のつどい」という、催しものがありました。
私は、司会という形で、参加させていただきました。
ここで、私の「おめでた」は公になりました。
社長が大事に大事にしてくれるもので。
まぁ、そんなこんなで、なんとか9月を乗り切ったわけです。
病院も一ヶ月に1回だと、お腹のちびチャンは、生きてんだか
どうだか分からず心配でした。
早く検診にならないかなぁ・・・と思う日々です。
10月に入る頃、やっと空腹時の胃の痛みが減ってきました。
この時、4キロも増えていた体重だけど、間食がなくなると
嘘のように2キロ減りました。
でもまだ、2キロ増えたまま。う〜ん。
せっかくだから、次の検診までに戻した〜い。
でも戻らないんだな、これがまた。
はぁ・・・。
折しも、旦那の両親との「同居話」も急ピッチで
進められていました。
もめた後、結局、建て売りを買うことに。
ローンは、私たち夫婦もち。
産後も働かなきゃいけないわけだ。
ふう。
「同居」を甘くみていたしっぺ返しが、大きな波となって
おしよせようとしていました。
でもこれは、12月以降のお話。
もう少し10〜11月のお話に、おつきあい下さいませ。
続く
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
息子が、保育園で水疱瘡をもらってきてしまいました。
顔中赤いブツブツだらけ。
おかげで、会社はお休み。
もちろん、この体験記もお休みでした。で、感想メールです。
「感想です。つわり?え?いつから?
なくってこまったんじゃぁ…。
あれ?見落とし?もう一度読み直してみる。
それにしても、みつ子さんが「日記付けない日」
があったなんて!しかも、長期にわたって…。
しんじられない…。
……………
…………………………
…………………………………PON!
そうかぁ、このせいで、歴史がかわって、
ノセタラダマスの予言がはずれたんだな。
振るはずの雨じゃなかった、大王がべっくらこいて、
にげてったんだ!
いあやぁそうだったのかぁ!」
こぉらぁ!私をなんだと思ってるのさ!!!
さて、久しぶりの体験記、第十四話でございます。
今回は、ちょっと違う、お話。余談としてでも読んで下さい。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
第十四話
11月。
同居の話のうち合わせの為に、旦那の実家の栃木へ。
「みっちゃん、おめでた」で、いろいろな人と電話で話したが
ある人物とは話をしていなかった。会う度に「2世は?」
「ジュニアは?」と聞く友人が一人いた。彼は、旦那と同じ年の、
栃木県出身で、劇団関係で知り合い一度共演した。その後も
イラストを描く関係で、共通の話題もあり、仲良く交流していた。
その彼には・・・一番2世を楽しみにしていた彼には、まだ誰も
知らせていなかったようだった。知ったようなら真っ先に電話が
かかってくるはずだから。電話好きで、彼と話すと、1時間や
2時間当たり前。もう長電話魔なのさ。知らないならば、
自分の口から知らせよう!、というのもあって、今回実家に帰る際、
彼の家にも立ち寄っていこう、という事になったのでした。
彼の家は4号線沿いの、必然的に通る道沿いだったので、
楽によれるんです。
11月3日。
私たちは家をでました。
実家の母が買ってくれたマタニティを着て。
まだマタニティなど、着なくても平気なのだけど、彼を驚かせてやろう!
という魂胆からでした。
彼は一風変わった人だった。見た目じゃないよ。やることなすことだよ。
人の目を気にするのかみんなで夜明かした時など、一番最後に寝て、
一番最初に起きるとか。動物が大好きで
「駄目、どうしても姿が浮かんで食べられない。」
と、肉も魚もほとんど食べなかったり・・・とか。
さらにこの肉魚を食べないってのは、ほんとに仲のいい人の前だけの
わがままで、あまり知らない人とか、仕事上の付き合いのときはしっかり
我慢して食べるという気の使いよう。気持ちがやさし過ぎる人。
自分の事より、まず人の事なの。
人一倍自己顕示欲も強いくせに。
とにかく気を使いまくってる。
「そんなんじゃ、長生き出来ないぞ。」
「いいんだもん。俺27で死ぬんだから。」
「馬鹿者!」
こんな会話はしょっちゅうだった。
心臓が昔、あまりよくなかったらしい。
今ではもうだいぶ平気のようだが。あとは、電話。
最初にも書いたけど、長電話魔なの。
何をそんなに話す事があるのと思うほど。
東京での一人暮らしが長かったせいかもしれません・・・。
そんな彼が、念願のおもちゃの制作に携わりだして2年。
大手メーカーにデザインを採用されたらしい、
と風のたよりできいていた。これはもう会って「おめでとう」を
お互いに言い合わなきゃ!という事で、会うつもりでのマタニティだった。
「あれ?道違うよ?」
「うん。なんだか行きたくないんだよ。帰りによろう。」
「帰り?」
「いいだろ、帰りでも。」
旦那がわざわざ道を変えたので、こんな会話があった。
ま、いいけどね。帰りでもさ。
長話の好きなやつだから、帰りの方が時間を気にしなくていいか・・・。
打ち合わせ後、お義母さんが会社で着るようにと
紺のマタニティを買ってくれた。
そして帰り道。
「あれ?また道が違うよ。」
「あ、そうか。行く?」
「え・・・・うん。・・・いいか、今日は・・・また今度で。」
なぜだか、旦那も私も、家を出るときはあんなに張り切っていたのに、
いざ行こう!という気にならないのだった。
わざわざ、マタニティまで着込んできたのに・・・。
「なんでかなぁ・・・私会いたかったのになぁ・・」
「俺もだよ。」
「じゃぁどうして道変えたのさ。」
「なんとなく・・・。おまえだっていいや、って言っただろ。」
「うん。変だよね。」
「・・・うん。変だよなぁ・・・。」
「いいよ、今度電話するよ。長電話魔なんだよなぁ、あいつ。ま、いっか。」
車が埼玉県に入った頃、こんな会話を旦那としていた。
けれど、彼と長電話をする機会は、もう2度と、訪れることはありませんでした。
彼は、もう、この世からいなくなっていたから・・・・・・・・・・。
その知らせが入ったのは2日後。11月5日、夜のことだった。
「旦那いる?」
仲のいい友人からの電話。
私が出たのにあえて旦那をという。
旦那が出て、脇で聞き、驚く私。
友人は妊婦の私に、直接言いたくなかったのと言った。
深夜、大手メーカーとのうち合わせの帰りダンプカーと・・・。
ほとんど虫の息で病院に・・・3日未明にはもう・・・。
地元の新聞にも載ったらしいよ、と聞き
旦那の実家に電話して、3日の朝刊に載ってることを確かめる。
運転手の生死は書いてないよ、とお義母さん。
3日。
あの日、4号線を通っていれば、間違いなく目にとまったであろう彼の家。
通っていれば、哀しいけど、絶対に張ってあるだろう「忌中」の紙に
気づいたであろうに。
あえて、4号線を通ることをさけた3日。
彼はもうこの世にはいなかったのだ。
「おしゃれなやつだったから、みられたくなかったんだよ。
包帯巻いた姿なんて。」
と誰かが言っていた。
そうかもしれない・・・。でも違う、と思っていた。
あいつは私のおめでたを知って、ショックをうけないように、
わざとこさせなかったんだ。
そういう、やさしいところがあるやつだったから。
きっとそうだ。気を使ったんだ。死んでまで。
大馬鹿野郎!
遺影の彼は、やたらにこにこ笑っている。
馬鹿野郎!
ほんとに27で死にやがって!!!!
その後、大手メーカーの方は、そのまま商品化をするらしい、と聞いた。
彼がつくったプラモデルが、どこかのショウウインドウに
飾られてるとも聞いた。
でももう、彼はいない・・・・。
それを、自慢気に話してくれるはずだった彼はいない・・・。
もう・・・。
どこにもいない・・・。
彼の言葉で、私の耳に残ってる言葉がある。
彼が劇団退団後、公演を観に来て言った言葉・・・。
「どうして俺こっち側なのかな。なんであっち側にいないんだろ。
観てる間ずっと思ってたよ。まけらんねぇよ、マジで。
俺も頑張らなきゃ。見ててよね、俺やるから。」
私の中で、一つの命が大きく育っている中・・・・。
同じ一つの命が、その早すぎる一生を終えて、還っていってしまった。
続く
*****************************
感想メールです。
「今回は、切ないお話でしたね。話してくれたときのことを
思い出します。私たちはあれから又年を重ねたけれど、
彼は27才のままなんだね。ホントに切ないです。
限られた命だから、毎日、精いっぱい生きたいよね。
いつ何があるかなんか、分かった物じゃないんだから。
何があっても後悔しないように、日々を大事に生きていこうね。」
そうだね。変な話、やつがこの世から去っていなかったら、
私はここにいなかったかもしれない。
あいつの「くやしさ」っての?「むなしさ」っていうの?
それが、切ないくらいわかってたから
私は、電車に飛び込めなかった。
でもあいつ、今あったら「俺って運悪いんだよ。」って
笑ってそう。そういうやつだったから。
「 読んで泣いちゃったよ。
わたしも、彼はみっちゃんとおなかの中にいる赤ちゃんに、
ショックを与えないように導いてくれたんだと思う。
本当にやさしかったんだね。ご冥福をお祈りします。」
「こんにちは
・・・・・何だか・・・辛かった事ですね (T_T)
若くして亡くなったそのお友達・・・気の毒です。
いい人だったようですね。きっと、仲良しの友達として
みみりん一家を見守っていてくれている事でしょう。
その人の分まで、頑張って生きていかなくちゃね。」
そうですね。
「ところで出産体験記の感想(そんなたいしたもん書けないけど)
ですが、なんか思ってたのよりもいろいろな事が書いてあって
考えさせられました。あたしも「友人の死」が2年ぐらい前に
ありました。すごく大好きでかけがえのない存在でした。今でも
そう思ってます。やっぱり風邪ひいて寝込んでる時とかは、いつ
もより余計に考えちゃって泣いてしまいます。今でもそうです。
まだ彼が生きていたころ(こんな風に書くのもなんかいやです)
にはあたしがおばあちゃんになって彼がおじいちゃんになってと、
年をとってから会うのを楽しみにしていたのに 変わってなさそう
だよねなんて言って楽しみにしていたのに、叶わぬものとなって
しまいました。すごく悔しくて、やるせない思いでいっぱいです。
今は前より少し落ち着きましたが、やっぱり辛いですね。なんか
長くなってきちゃいましたね。すみません。まとまりないですけど
こんなかんじです」
ほんと、生きてることが、どれほど素敵なことか、認識しますよね。
去られてしまうと、相手はその時のままなんだもんなぁ・・・。
一緒に時を重ねて行きたかったですね。
「いいやつだねあいつ。(引きずってるつもりはないが過去形って
悲しいからあえて…)嫉妬しちまうくらい、ほんとにいいやつだよ。
ほんと、仲間では、一番やさしいやつじゃない?
どうしてんのかなぁ、相変らず、人に気を使いながら明るく
過ごしてるんかなぁ…。なんか、ゆうれいに親近感あるせいか、
現世もあの世も、住む場所の違い位にし感じなくなってる…。
いやぁ、なんか、ほとんど会ってないけど…みつこさんや劇団の
連中って、今だに時間や感情を共有してるんだ…。って感じる、
私にとっては感慨深い(ほんのちょっと、やつの話読むのつら
かったかな…)今回の連載でした。」
では、少し戻って続きです。
*******************************
第十五話
少し戻って10月半ば・・・再び病院へ。
今回は例の台には乗らず、簡易ベッドでの診察でした。
お腹をだして、ヌルヌルした透明の液体を少し塗って、
超音波で診察です。
「例のやつ」の方が、数倍鮮明に写っていたので、
今回は全然分かりませんでした。先生は
「うんうん。順調だね。手足もばたばたさせてるし・・・」
などと言っていましたが、私には、どれが手なのかも
分からなかったです。
ちょっとさみしい診察を終えて、先生とお話。
「14週の終わりかぁ・・・。そろそろ犬の日に腹帯を用意
する頃かな。もう少しすると、動くのが分かりますよ。
体重が増えないように気をつけて。」
「はい。」
「では4週間後にまた。」
「今回はつまらなかったよ。」
ロビーに戻った私は、旦那に愚痴った。
「じゃぁ、おもしろい診察ってどんなだよ?」
「そういう意味じゃなくてさぁ・・・」
「腹巻きのこと、なんか言ってた?」
「腹巻きじゃないよ、は・ら・お・びっ!」
「同じだよ。カバに合うものはありません、って言ってなかった?」
「いわないよっ!」
「かば」については多くを語りたくないので、聞きたい人だけ、
直接私に聞いて下さい。
とにかく、旦那は私をからかう時「かば」というのであります。
ちなみに私は、そういうときの旦那を「サル」と呼びます。
犬の日にお腹に帯びをまく、という行事がある。
仰々しくやる必要はない、と冠婚葬祭の本には書いてある。
双方の家の母を呼んで、こじんまりとやることにした。
安産祈願をこめて犬の日にやるのだそうだ。
ちなみにこれ、二人目のときはやらなかった。
こんなもんである。
そうそう、ここでちょっと、本筋よりまたずれます。
今は「妊娠○ヶ月」という表現はしません。
「妊娠○週」という表現をします。
何ヶ月という表現でいうならば、今5ヶ月に入るところです。
5ヶ月の犬の日に腹帯を巻くんだそうです。
ともかく、犬の日の大安があったので、11月早々、
私のお腹に、さらしの帯がぐるぐる巻かれました。
これを巻かれたら、もう普通の服は着られない!
会社に行くときはガードルタイプのものを着用しよう、と思った。
でもまだ、その日だけしかつけず、日々を送っていました。
11月半ばの検診の前に、第一回、母親学級が行われました。
では、次回は母親学級のこと。
続く
********************************
感想メールです。
「今回のは、おもしろかった。上田って、変わんないのな。
相変らずの掛け合いやってだねぇ。
なんか、前回と違った意味で、なつかしかった。うん。そこで、質問。
「カバ」「サル」話(笑)知る人ぞ知る!
ついでに、「3」「かっぱ」ですか。(笑!)
でもやっぱり、おいらからすれば、上田夫妻は、「おもちゃ」と
「鬼姫」だよなぁ。
あと、はらおび?知らんかった。
月数えじゃなく週数えが普通?しらんかった。
いや、ほんとに、「へぇー!」ってなった。勉強になりました。
でも、はらおびとか、そうゆうしきたりなんか、上田って
くわしそう、って言うか、その直前にどっかでこっそり
本読んで勉強してそう。」
してそうだよね。そうそう、鬼姫って、昔やった役名です。
*********************************
第十六話
11月17日。
第一回母親学級。1時30分より保健センターにて。
会社を11時30分という、半端な時間に早退し、いざお出かけ。
しかしバス・電車と乗り継ぎS駅から徒歩10分。
自宅に戻って昼食をとると、もう1時を少しまわったところだった。
自転車で15分もあれば・・・と、家をでる。
えっと・・・確かこの辺・・・・。
あやふやな記憶である。8月に一回、行ったっきり。廻りはたんぼ。
くるくるくるくる。
お−い。保健センターどこだー!
そこらを歩いている、どうみても市在歴10年以上のおばさんに聞く。
「駅前だろ?」
駅前?!
駅前に、たんぼはないぞっ!
なに?
それは保健所っ!
私が言ってるのは、センターだっちゅうのっ!
しかし・・・。
市民にもよく知られていない「保健センター」って、
普段何を行っている場所なの?
なんて、自分のミスを棚にあげまくり、自転車こぎこぎ
やっと目的地についたのは30分を10分もすぎた、
1時40分すぎでした。
まだ、はじまっていなかったのは幸いだったのだけど・・・・
案の定・・・。もう適当にグループが出来ていて、
雑談に花が咲いていました。
話にはいれない私は、一番奥の一番後ろの席に座りました。
全く、舞台以外は根性のない自分に、今更ながら情けない。
廻りは1月から5月が予定日の妊婦さん。
もう大きいお腹の人もいれば、私のようにジーパンで
トレーナーという普通の格好の人、と様々である。
この日は、これからの日程と、またまたいろいろな
資料を配ったのと、ちょっとした妊娠のお話と、自己紹介、
記念撮影で終わりました。
いやぁ・・・自己紹介のへたくそなこと。
つくづく、台本がないと役に立たない自分に腹が立つ。
ともあれ、なんだか「母親」にならざるをえない状況におかれて
いく自分に「おいおい本当に大丈夫か?」と問いながらの、
母親学級第一回でありました。
続く
******************************
感想メールです。
「まず思った事。「野中の一軒家ならぬ田中の一軒家
(え?田中さん家じゃな〜い!)次にいくとき、目印なくて、
慣れないと迷うんじゃん?」って、おもってたら、やっぱりか!
いやぁ、ほら、昔おれが、田舎から出てきた時、街んなかで
道に迷ったって話したじゃん。山みて歩こうと思ったら山が
見えんって…。だから、こっちの人は、基本的に目印とかの感覚が
違うから、「逆も然りかぁ?」っておもってたんだよねぇ。
うけた!いや、ごめん!あまりにも、思った通りになったもんで…。
ゴボン!…すまんです。
それから、みつ子さんが自分の弱いとこをこんなにはっきり
書くなんて…。いや、日記とかには書いてたんだろうけど、
大勢の人に見せるものに…。おどろきというか、いや、一皮むけた
ね!このへんの文で、全体の文の硬さというか、きつさみたいなものが
和らいだ気がする。多分、会社とかでも、周りの人は、みつ子さんの
ことをバリバリ仕事して、負けん気が強く、元気で気後れなんかに
縁のないように感じていると思うんで…。そんな、負けん気強い
みつ子さんをしってるひとは、きっと、これよみながら、「結局、
難なくこなしちゃうんだろうなぁ。」とか感じながら読んでると思う。
でも、この文のおかげとゆうか、この弱いみつ子さんを知らない意外性が、
きっとこの体験記を読む人全体の、先入観をリセットしてくれると思う。
「いつも、元気印みつ子さんが教室?の一番後ろに、つまらなさそうに
(ちょっと寂しそうに)座る。」おいら、なんかは、表情浮かぶけど…。
いや、おもしろい、そしてよい味で堪能させていただきました。
あ、ごめん、なんか、評論みたくなっちゃった。
次からは気をつけるから。暴言、非礼、ご容赦、ご容赦。」
負けるのは嫌いだけど・・・。強いかぁ・・・。強いかなぁ、
やっぱり・・・う〜ん。
********************************
第十七話
季節の変わり目のせいか、熱がでた。
風邪のようだ。会社も休み、家でねこむ。
薬が飲めないので、どうにも良くならない。妊婦は大変である。
布団の中で、いろいろなことを考えていた。
一番気になっていたのは、ある友人の事だった。
彼女は、この10月に第二子の出産を控えた人だった。
前に勤めていた会社の先輩で、割と筆まめな彼女は、
事あるごとに電話や手紙をくれた。
そんな彼女から「生まれたよ」コールがこないのである。
一人目の時は、生後一週間で、かわいい葉書がきたというのに。
さすがに妊婦生活も半ばをすぎると、不幸な事もあると気づく。
出産雑誌「バルーン」が当時の愛読書だったのだが、
哀しい話も結構載っていた。
40週で胎内死亡とか、4人も流産しちゃったとか・・・。
(今よく売れてる「たまごクラブ」はまだ創刊されてなかった)
彼女は元気で明るい人で、この雑誌の事もこう語っていた。
「バルーン(風船)なんてよく考えたよね。
ほんと風船みたいにふくらんでいくんだもの。
あはははは。」
そのしゃべり口調につられて、こっちまで笑ったものである。
そんな彼女から、連絡がこない。どうなったのかなぁ・・・・。
さすがにこの件は、こちらから連絡がとれない。
う〜ん。
3日に亡くなった、彼のことを考えると涙がでてくるし・・・。
どうにも熱っぽくて、考えがまとまらない。困ったもんである。
2日休んで、やっと起きられるようになった。
まだ少し微熱があるが、食事もとれるようになった。
布団の上でうつぶせになり、雑誌(バルーン)を読んでいた。
その時・・・・・・
・・・・ピク・・・・。
??????????????
なんだ? 今の?
起きあがって、考える。
お腹?
んん?
気のせいか・・・と思い、またうつぶせになる。
・・・・ピク
がばっと起きあがり、隣の部屋に駆け込み、旦那にいう。
「動いたっ!!!動いたっっ!!!!!」
「何?」
「だから、動いたのっ!」
「だから何が?」
「だからーーーーーー・・・・・」
じれったい旦那である。鈍すぎ。
「もしかして赤ちゃん?」
「そうそうそうっ!」
「嘘だろ。まだ早いじゃん。」
「でも今、うつぶせになって本読んでたらピクって・・・」
「おまえ、うつぶせなんかすんなよっ!」
「だって、本大きいから持って読むの大変なんだもん。」
「テーブルで読めばいいだろっ!」
「まだ熱あるんだもん。」
「じゃぁおとなしく寝てろっ!」
「なんだよぉ。そんな言い方ないじゃん!」
胎動がわかった初日。
感動もへったくれもない会話をしている夫婦だった。
私たち夫婦って一体・・・・。
余談だが、この風邪のおかげ?で体重が1キロ減った。
続く
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感想メールです。
「出産の話は、自分も体験してるので同じように思ってる事や、
人それぞれなんだなぁ〜〜〜っ て思う事などがあり、毎回
送られてくるのを楽しみに待ってます。ちなみに、私はつわりは一
般的には軽い方だったみたい。でも、自分とすれば、妊娠中一番
辛かったのは、つわりだった 吐いた事は、4・5回だけだったけど、
辛かった。しかも、6ヶ月ぐらいまでつわりがあった ので大変でした。
一人目の方が重かったかもしれない。で、よくグレープフルーツとか柑橘系
を食べて吐いた事があった。汚い話しで悪いけど、口や鼻からグレープ
フルーツが出るの。で、鼻から出るとすごく痛くて辛かったのを思い出した。
これからの展開も楽しみです。」
い・痛そう・・・。では、もう一通。
「!!!!!!。妊婦がうつ伏せで本読むか!!!!!!!!
まったく、あんたって人は、外海 で岩場泳ごうとするし、
危険が好きなんかい?ってのが一番の感想。でもまぁ、本をよく読む人に
とって、うつ伏せ厳禁はつらいよ。あと「バルーン」名前は知ってたけど、
改めて考えると、なるほどいいえて妙ってやつ。笑えるってぇか
ほのぼのってぇか・・・。それから感動の胎動のシーン。
ドラマとかだと中の悪かった夫婦もこの時とばかりは、幸せと愛情を
もう撒き散らしてるようなシーンなのだが・・・。まぁどっちかってぇと、
感受性強く、感動を求めてるみつ子さんと、感受性は負けず劣らず強いのに
(感動してるくせに)表に出したがらないで、後から後悔する上田とでは、
こうなるのは予想できたこととはいえ・・・。読んでてかなしいってか、
あきらめて「しょうがないか、こいつらだもん。」ってのが入り交じって
「なんか、もうちっとこう・・・。はぁぁぁぁぁ。
二人らしいっていえば、らしいんだけど・・・。」でした。」
・・・。すいません。変な二人で・・・。では続きです。
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第十八話
お腹が動いた!という日は、母子手帳に記入するので、明確。
11月25日(19週)でした。初産婦にしては、ちょっと早い胎動でした。
でも旦那に言わせると
「かばの全体重が、のってたんだぞっ!苦しくて動いてあたりまえじゃん。」
ほっといて、ふん。
普通にしていても、胎動を感じるようになったのは、11月27日からでした。
引っ越しが、来月23日に迫っていました。荷物をまとめなければいけません。
劇団の方もしばらく休むため、業務引継もしなければなりません。
なんだか、やることがいっぱいで、イライラしていました。
旦那はあいかわらずで、パチンコいったり、好き放題。
とうとうある日、喧嘩です。
「一体いつになったら、荷物整理するのよ!」
「うるさいなぁ。そのうちやるよ。」
「働いてるんだから、土日しか出来ないんだよ!何パチンコなんかしてるのよ!」
「したっていいだろ!」
「時と場合を考えなさいよ!」
「じゃあ荷物なんか、全部捨てちまえ!」
「馬鹿いってんじゃないわよ!」
などと言い争いました。かなり久しぶりの喧嘩でした。
昔は10分間のうち、8分間位、劇団のことやら、
生活習慣のことやらで喧嘩をしていました。
結婚してからは、そうでもなくなっていたのですが、
やりはじめると止まらない。
なんせ、この喧嘩のせいで、劇団をやめた人がいるくらいの、
二人の喧嘩であります。
それでも、妊娠してからは喧嘩をしないようにしていました。
多分、お互い無意識に「妊娠」を気にしていたから。
だけど、私はもう待てなかった。
12月23日には引っ越し、同居なのです。
荷物は、全然まとまっていないのです。
とにかく、少しずつ整理しないことには、どうにもならない。
この喧嘩は、妊娠してから初めての喧嘩でした。
・・・・・・・・ズキンッ!
そして、それは突然やってきました。
「痛・・・・!」
お腹が痛い!
思わず、お腹を押さえて座り込む。
「どうした?!」
旦那もびっくりして、喧嘩は終わった。
ものすごい激痛。
たった一回の、たった一瞬の激痛だったけど、
冷静になるには充分すぎる痛みでした。
「・・・・赤ちゃんも、喧嘩いやだって・・・。」
「わかったよ。」
「・・・妊娠してから、初めての喧嘩だったね。」
「そういやそうだな。・・・でも、もうやめよう。」
「そうだね。痛かったもん。すっごく。」
お腹をさすりさすり、ごめんね、と謝る私でした。
こんなに小さくても、母親の不機嫌さはわかって、
更に、「痛み」で訴えるとは・・・・。
胎教ってあるかも・・・と思う私がいました。
続く
第十九話
少し日付が戻ります。記憶がいい加減な事がばればれ。
11月21日。
第二回母親学級がありました。
内容は
「 赤ちゃんの衣類・肌着づくり 」
今度は迷わずに、保健センターに着く。
適当に座って下さい、と言われたが、今回は、入り口の前の
一番前に座りました。
昔から家庭科の授業で、衣服をつくるときだけは、気合いが入る。
なぜって、好きな訳でなく、苦手だから。
一番に仕上げれば、先生が次の作業に入るとき、
見本として使用してくれる。
半分以上やってもらえれば楽である。
常に一番に仕上げ、なんとか、へたっぴを隠していた
私でありました。
でも、今回はそんなことはないだろうから、
きちんと聞いて作業しないと絶対できあがらない!
自分のレベルを、わかりすぎるくらい知っているから、
あえて一番前に座りました。
「裁縫道具と、ガーゼ・バイヤステープは持ってきましたね?」
と保健婦さん。
「今日は、3人の方がみなさんのお手伝いにいらっしゃいました。
わからないところは聞いて下さい。」
と説明をはじめる。一枚のガーゼを、ほとんど切らずに、
半袖の肌着をつくる作業がはじまった。
机を何台かくっつけて、3つのグループをつくり、
それぞれを手伝いのおばさんが担当し、説明をはじめました。
私の所は、8人。中でも一人、えらく早くて上手な人がいました。
彼女曰く
「こういうの大好きっ!」
う・うらやましい・・・
わたしだって、決して嫌いではないのだが、
うまく縫えないんだもの。
結局2時間という、限られた時間内にできあがったのは、彼女一人だった。
同じテーブルでやっていながら、この差は・・・
中途半端な自分の肌着を手に、ため息。
でも24人いて、一人だけが完成なのだから・・・ま、いっか。
家に帰って、旦那が帰宅するまで、
えっさえっさと縫い縫い、やっと完成しました。
できあがって、改まってみると、小さい。本当に小さい。
うわぁ・・・こんなの着るんだぁ・・・
なんかうれしくなってきました。
もう1枚くらい縫おう!と、意気込んだけど、
眠気には勝てず、つくったのは、結局その1枚っきり。
でも母親学級で、家に帰ってから縫い上げたのは、私を含めて
5人位しかいなかった。あとのみんなは、そのまま「タンスのこやし」
になったらしい。
お腹のちびちゃんの為に、初めて用意された衣服は、こうやって完成した。
後日談・・・・
ちなみにこの肌着、しっかり使われた。
平成7年の夏は暑かった。
5回くらいは着たのだが、洗濯の度にぼろぼろになって、最後は捨てられた。
私が縫った割には、結構頑張ってくれた方だと思う。
お義母さんは、このガーゼ肌着が、が夏場はいいんだから、
もっと縫えばよかったのに・・・と言っていた。
う〜ん。
苦手じゃなければ縫ったんだけど・・・・と言い訳する私がいました。
ともあれ、まだ今は平成6年11月。
夏までは、まだまだ遠い。
続く
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感想メール載せますね。
「読んでいるうちに忘れていた記憶が鮮やかに甦ってきます。
なんだか、あの・・・・。胎盤の出る想い?私にとっては、
「SF」「ホラー」「アクション?」なんだか読んでて
ドキドキしてきます。「ISORA]より
(映画は怖くて見られないので本でよんだけど)現実とオーバー
ラップして怖いかもー。」
で、もう一通。
「え?縫い物苦手なの?へぇ〜。しらんかったかも。
でも、赤ん坊の肌着・・・。お人形さんの服みたいに
小さいんだろうなぁ。さがしたらどっかの人形の着せ替えセット
使えたりして。外国製のとか。でも縫わなかった人どうしたのかなぁ。
買ってすましたとか。親に縫ってもらったとか。大変なのはわかるが、
なんかなぁ・・・。情けないっていうか寂しい気がする。あと、わかる〜って
のが、苦手と思ってる事が何とか形に成った時!うれしんだよなぁ・・・。」
ありがとうございます。では二十話です。
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第二十話
11月30日。
第三回、母親学級が行われました。
今回のテーマは
「 分娩の経過と心得
らくなお産のための妊婦体操 」
ちなみに、明記しなかったけど、第一回のテーマは
「妊娠の生理と異常・その対策/座談会」でした。
今回は3回目であります。しかし天気に恵まれてよかった。
車のない私は、自転車で通っていたんだけど、雨だとさすがに怖い。
一応妊婦だし、傘さし運転は控えたい。そんな願いがきいてか、
今日もいい天気だった。晴れ女は強い!動ける格好で、
という事だったので、稽古着をもっていった。
妊娠の経過を教わりながら、みんなで着替えて、さぁ体操です。
私は「妊婦にはまだ見えない人」なんで、結構
簡単にこなしたのですが、1月出産予定の方々は
ひーひー言ってました。わりときつそうな体操でした。
そして、本日のメイン。陣痛の時の呼吸法。
「これはテープがあるんですよ。」
と保健婦さん。
「ちょっと音楽がへろへろしてますが、まぁ聞いてみて下さい。」
♪チャララ〜ン、と音楽。
ピアノの旋律で、割ときれいな上がり調子の感じ。
へぇ・・・と思ったところで、野太い男性の声で
「すぅってぇ〜〜〜〜〜・・・・」
・・・・・・
一同シーーーーーーーーーーンとなり
その後大爆笑!!!
「はいてぇ〜〜〜〜」
音楽は続く。
みんな笑い出して、呼吸法どころではない。
何も「すってー」と普通に言えばいいのに
「てぇ〜〜〜・・・」と、声までゆらゆらさせなくても・・・・
という状態なのである。
保健婦さんも
「やっぱりこれは駄目ね。みんな笑っちゃうんだもの。」
だったら、そんなの使うなってばっ!
もう、おかしくてたまらないテープでした。
ちなみに私。この妊婦体操。全然しませんでした。
腰も痛くなかったし・・・。
なにより、そういう時間がなかった、というのが理由。
ただ、呼吸法は「バルーン」の全員プレゼントに応募して、
テープを入手しました。
残念ながら(?)それは女性の声で、すっきりしたものでした。
しかし、真面目にやらない私。
後日、陣痛の時に悔やむのでありますが、自業自得の話。
困ったもんであります。
続く